「僕、新潟出身なんだけどPOPEYE読んでいいかな」

 ダメだよ。やめなよ。

 

f:id:nayuttttttt:20200511215257j:image

 

 先行研究としてこのような資料がある。まずはこれを読んでみてほしい。

verone.hatenadiary.com

 

 おれが今回言いたいことは大体以上になる。手っ取り早くリンクをコピペしてツイートすればそれで完了するのだが、それでは味気ないってもんだ。それに我々は常に先行研究を乗り越えていかなければいけない。てめえのブログなんざ車輪の再発明だと言われればそれまでだ。だが、おれは車輪を生産している。それでお前は?

 上記のブログは読んでくれただろうか。どうせ読んでないでしょうからおれが内容を簡潔に、セクシーに意訳する。つまりバスタ新宿が帰る場所かどうか」という問題だ。

 これには二通りの意味と物語がある。

 新潟県新潟市中央区出身、現在都内4年制私立大学に在籍中のAくんはお盆休みのタイミングで毎年地元に帰る。上越新幹線に乗ってもいいが、高速バスは安上がりなので夜中にバスタ新宿4Fで車両の到着を待っているというストーリーがひとつめ。

 Aくんが新潟行きのバスを待っている数時間前、同じくバスタ新宿で、今度は新潟から東京へ帰ってきたバスが停車する。3列独立型、Wi-Fi・ブランケット・コンセント・トイレ完備の車両から降りてきたのは東京都世田谷区の生まれで、成城の高校に通っているKくんと6くんと9くんだ。夏休みの前半に稼いだバイト代、あるいはパパのおこづかいではるばる佐渡島へ観光の帰路であった。これがふたつめ。

 

youtu.be

 

 Aくん / Kくんくんくんに共通項を見つけることは難しいが、バスタ新宿を利用しているという点では一致していると考えるかもしれない。だがそれは間違っている。実は、Kくんら3人組は、行きは上越新幹線MAXとき号の指定席で新潟へ向かった。旅の先々で散々と散財をした彼らは、帰りもパパのカードを切って新幹線に乗ったっていいのだが、窮屈なバスに乗った経験がなかったので、興味本位でバスという選択肢を選んだに過ぎない。

 まず、バスタ新宿が帰る場所である人間、これは論外ということになる。おれは全然許したいんだけどマガジンハウス側の総意としては絶対に許さないということになっている。あの、だから、新潟県民を不当に差別しているのはおれではなくマガジンハウスだ。今回のブログに関してはそういうことになる。前回の宮崎吾朗に引き続いて、二度と共に仕事ができない人間を増やしてしまっている。

 大阪や、名古屋、福岡のレベルだとどうなのかという疑問も発生する。その点をマガジンハウスに問い合わせたところ反応はなかった。沈黙には様々な含意があるが、答えたくない。というのが有力な線だろう。大阪、名古屋、福岡に対して、友好的、あるいは否定的なポーズをとることは、それ自体がマガジンハウスにとって損な立ち回りだからである。

f:id:nayuttttttt:20200511215522j:image

 単なる地方のローカル誌、それがPOPEYEの正体だ。「東京の」ローカル誌じゃない。オーラリー本店(南青山)を中心として半径10kmを拠点にしている地方誌だ。顧客はその半径内で暮らしている人間だ。その半径内で「産まれた」人間はより上等な客だ。よかったね。

 もちろんそういった連中相手にだけいい顔をするわけにもいかない。表向きは日本のすべてのワナビーシティボーイの皆さんへ向けて公開されているメディアだ。しかし、オーラリーなんて今やどこでも買える。"裏日本"新潟にさえ、通りを挟んだ二店舗でオーラリーが売られている。服屋が並びあっているのもどうかと思うが、同じ服が同じ場所で販売されているのも意味がよくわからない。勘違いをしている人が多いけど、新潟は立派な都会だ。815ある市町村区のうち新潟市は15番目に人口が多い。あくまで人口の話だ。

 何がいいたいのか分からなくなってきた。

 というか、POPEYEの話なんかしたかったわけじゃない。飽きた。

 話は変わるが、皆さんは「地方」という言葉を恣意的に利用しすぎだ。 さらに「ローカル」に至っては完璧に間違っている。「地方」とはふつう東京以外の地域をそう呼ぶ。これは東京=中心という認識があるのでそう呼ばれる。まあそれはいい。「ローカル」に関しては、もとの意味に「田舎」というニュアンスは全く含まれていない。ローカルとは、ある場所を限定して扱う際に使われる語彙だ。だから東京23区もローカルだ。当たり前ですが。

 原義のひとつには、「地方」は一定の地域区分を指していう。その点ではローカルと同義語だ。その場合至極当然ながら「東京」=「ローカル」=「地方」となる。この領域においてどんな上下関係も従属関係もありえない。これも当たり前ですね。当然、そうですよね?勝手に意味を付与してないですよね?

 文化は相対的でなければいけない。優劣をつけてはいけない。「シティ・ボーイ」と「田舎のヤンキー」で比較しようとするから話がおかしくなる。「シティ・ボーイ」と「新潟市古町の古民家を改装したゲストハウスでホテル業を営んでいる東京からIターンしてきた24歳の男性」くらいでやらなきゃ張り合いがない。優劣なんてないか?後者は前者にはなれない。

 

 全然楽しくないなこの話。違うことについて書く。

 今までずっと正しいと思っていたことがある日突然とんでもなくアホな考えだったということに気付く瞬間がよくある。転換期だ。皆さんがどうかは知らんがおれはだいたいワンクールで人格が結構アプデされる。自分の人生をこうやって簡略化するのは好きだ。人生アプデ、3ヶ月に一回くらいはいる。

 たとえば、昔ブログに「愛を得るためには全てを犠牲にしなければいけない 闘え!」みたいなことを書いたが、今は全くそんなこと思ってなくて、馬鹿げたことだと思う。人を愛することについてはかなりの修正が入った。その結果なにも分からなくなってしまったが、なんとなく愛を難しいものにしすぎていた感覚はある。もっと身近なものだ。玄関でクツを揃えられない男は仕事はできるかもしれないが、だが「クツは揃えられない」。そういう感じのことだと思う。なんていうか、身近で基本的なことだ。おれの親父がそうだ。

 親父は3人兄弟の末っ子だ。三男の親父は東工大の推薦を蹴って就職した。伯父の二男はケンブリッジ大学に行って今は遺伝子をいじくる系の教授をやっている。2人ともバケモノみたいに頭がいいのにおれは行きたかった大学に落ちて日高屋でわけわかんねえ酔っ払いに絡まれている。遺伝子の謎だ。伯父には是非そういうことも研究してほしい。長男がいたことは知っていたが、親族が集まる食卓でその話が出たことは一度もなかった。タブーってやつだ。数日前まで長男は蒸発した。ということしか知らなかったのだが、数日前に横浜に住んでいる親父と飲んだ際にはじめて具体的な話をされた。それでも長男の名前は知らないが。

 3人の中で1番弁が立った。高校を中退して宮崎から東京に行った。東京で会社を立ち上げたが潰れて借金を背負った。借金のカタを求めて宮崎へ帰ってくる。親父の親父(祖父)が借金を返す。また東京に行って借金を作って親族から勘当される。祖父がうつ病になる。

 親父の遺伝子も二男の遺伝子も持っていないとなると、知りもしない長男の顔を想像して嫌な気分になった。似てるのはせめて顔だけであって欲しい。

 

 

 みなさんの遺伝子はどうですか?