ネオテニーたち・戒厳令

 2/11 2時

 全身の筋肉を脱力させてソファに寝ていた。友人、友人?そう呼ぶにはあまりに彼女のことをなにも知らないが、彼女に招待されたパーティはあまり好きな選曲ではなかった

 シンデレラに、2021年のダンスパーティは20時で終わることを耳打ちしたらどんな顔をするのだろう。驚くだろう。そのあとはガラスのブーツを両足とも叩き割るだろう。地面に向かって勢いよく。延長済みの緊急事態宣言が発動中のなか、24時を過ぎてもドラムンベースサウンドシステムを揺らしている地下一階のクラブでは、ヒステリック症状になって東京中から集まったシンデレラたちがまさに抑圧下にあったリビドーを沸騰させていて、勢いあまって床に落としたカクテルグラスが粉々に割れる音がうねるサブベースの合間にあちこちから聞こえてきた。

 

 奇妙だった。YouTubeで観ることのできるロンドンの非合法なスクワット・レイヴ。あの画面越しからでも匂ってくる酔狂とマリファナと小便の香りはもちろんここにはない。違法性のようなものを共有する集団がもつ刹那の連帯意識とか熱気とか、破滅的な衝動に対する肯定でも否定でもない態度とか(痙攣して身体を動かし続けること)があるわけでもない、ただのいつもの気乗りしないクラブイベントみたいだった。

 クラブは苦手だ。人が多くてうるさくて酸素が薄い。それらの不快なことをガン無視して水を飲みながら黙々と踊っていると、山の稜線から太陽が額を覗かせ、魅惑の朝が訪れるときのように、救済されたような多幸感に満ちた瞬間があり、クラブにはその瞬間を味わうために時々行く。そうでなければ行くわけがない。

 そのラスベート(夜明けのことをロシアではラスベートという。好きな言葉でよく発音している)に似た多幸感に今夜は触れないであろうことを悟り、ソファに倒れていた。3人掛けの革張りソファにはおれのほかに白い腕を伸ばして横になっている女性がいた。華奢な女性の身体に対してはあまりに大きい上着を毛布代わりにして寝ていた。上着は砂みたいなたばこの匂いがへばりついていた。砂みたいな匂いのたばこの銘柄ってなんだっけ?適当に答えてみるか、キャメル。身体が冷えていたからおれも上着を被っていいか聞いてみた。上着の領土を少し貸してもらった。

 

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 2/6

 前にも紹介したいま一番おもしろい飯ブログを書いているリュウイチくんが家にきた。この家に新しい友人が来るのは久々で、おそらく最後だろう。リュウイチくんは2020年年末に知り合ってその日に仲良くなってキスをしたりした。男とキスをしたのははじめてだったが彼の唇はそこら辺の女子大生とは比べ物にならないくらい柔らかくて最高だった。彼はナイトクラブにいる”スノッブ“でいけすかない同世代のガキより遥かに賢くて敬虔だが、ナイトクラブにいるパラノイアよりも深刻なレベルで分裂症をこじらせている。ちなみにおれは彼から「イズミくん」と呼ばれているがおれはイズミという名前ではない。

 「イズミくんさ自分が22歳で社会的には結構ヤバい状態の22歳だってことわかってる?」とリュウイチくんに言われた。「もちろん重々承知しているよ」と応えた。おれがカギカッコ付きの言葉を喋ったのはこのブログの中では初めてだ。リュウイチくんもおれと同じ22歳で、行ったことはないがどうせ山口県のようなカラカラに乾いた地方都市の出身で、大学院に進む予定を蹴って大学卒業後の身の振り方に関しては未だ保留しているようだ。地元に戻るのかもしれない。その点でおれとリュウイチくんは22歳異常(独身)男性の括りで共通性はある。

 リュウイチくんはレクサプロかなにかを水で下しながら海老が嫌いな話をしていた。おれも同じ時期に海老について考えていた。おれとリュウイチくんとの相関のもう一つに、菊地成孔の文章に頻出するような、誇大妄想に取り憑かれている部分というかあれやこれやをありもしない重要な啓司だと勘違いしている点があって、要するにパラノイアなんだけど、無意味だと思われるような事柄を肉付けしてリンクさせていくことに興味がある部分が一致している。

 

 この『とんかつひなた 上ロースかつ定食』というタイトルが冠されたエントリーの中ではパラノイアに陥った彼がなんでもないただの交差点にサモトラケのニケの幻覚をみていて、おれはいいからとっととトンカツを食えよと思うんだけど、一方でこういうことになったとき、おれの視床下部はいったいどんなモニュメントを投影するんだろう。どんな形態のミューズが、ファムファタールが、おれを抱擁して(串刺しにして)横断歩道の白線と白線の内側の奈落に沈めてくれるのだろうか。ということくらいは考えてしまう。パラノイアなので。

 結論としてはおれと彼は一切の労働をしていないということだ。アルバイトとかもしていない。労働に向いていない人間ということだ。労働に向いている人間というのがいるのかは分からないけど。おれは三島由紀夫に指摘されたような満ち足りていて空洞な日本人で、空洞をバレないように意味や、意味や、意味や、意味を受肉させている。そういうことを思い出すといい気分になれる。空洞のまま踊っていていい。

 

 2/13 23時

 粘っこい地震、本棚から何冊か落ちた。