Doomer‘s Friday Night

 

 

 

 

 

世界はあなた方の奴隷ではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  冬に「Doomer‘s Friday Night」というプレイリストを作った。

 

 そういうふざけた名前を付けたきっかけの動画がYouTubeにあがっている。

 

 Doomerとは、いまでは普遍的なネットミームのひとつで、それを検索してみてもいまいちどういったものなのか掴みどころがないというのは、ネットミーム特有の自己増殖性によって意味の輪郭が曖昧にされてきたことによる。

 すぐれた普遍性をもつミームがそのように従来もっていたステートメントをくだらなさのヴェールで覆い隠し、インターネットで共感を呼ぶわかりやすいネタへと咀嚼されるのはいまでは当たり前のことで、なので当然Doomerは優れたミームだ。

 だから、海外の画像掲示板から生まれたDoomerについての解説を、日本の誰かが適当に紹介している記事の引用によってすべて任せるというのは、理にかなった紹介方法だろう。あまりにも大量のポルノ動画にフォルダを圧迫されていて、検索履歴から掘り出すのに苦労した。

 

 このnoteを読んでもらうとさらに解説が省けるから嬉しいのだが、「Doomerが聴いていそうな曲ってなに?」というリクエストから、東欧のポストロック、ブラジリアンジャズ、アニソンなどをそれぞれにわけて、#Doomer 的なプレイリストを各国のDoomerたちがまとめている。

 

 それらのプレイリスト / ミックステープに共通するのは、当然、むせ返るような暗さであり、それ以上でもそれ以下でもないと唾棄することも簡単だ。投稿者たちの工夫としては、それを各々のエスニシティへと関連づける試みなどに見ることができる。

 Doomerの暗さをどのように翻訳したかということで、Joy Divisionがうたうメランコリーとか、花澤香菜のキャラソンをリピート再生する日本人の虚脱とか、ザナックスに絡め取られていくLil Peepのデプレッション。それがたとえジャマイカの夕日に熱された陽気なレゲエであっても何かしらの難癖をつけて、お得意の勘繰りからビーチ🏖を憂慮で満たすくらいのことをやっている。

 

 インターネットのゴブリンどもに食い散らかされたDoomer的なモチーフは、しかしいま述べたような都市の印象へ還元されて新たな性格を獲得していく。

 いったんバラバラに分解された要素が異なる文化の視点から再構築されていく様子は、なかなかおもしろい。もっとも公共性がある自由な空間でおなじみ、インターネットでフリー素材化したものが無料コピーされて、それぞれの方法論から新たな属性を付与していくというのは、繰り返しになるがミームそれ自体がみせる素晴らしい魔法だ。

ミームはウィルスのように拡散していく。それを止めることは恐らく誰にもできない。

 

 Whitingboltというアメリカ人が2019年に投稿した「Doomer‘s Friday Night」は、この陰鬱なミームの特徴を学習するうえでいちばんわかりやすい教則ビデオのひとつになっている。

 動画は、50年代の象徴的な集合住宅(Commieblock)の一部屋から始まる。金曜日の真夜中。Wojakという名前の男がいつも通り黒のニット帽を被って街へ出る。恋人たちはとっくにダブルベッドで寝ていて、パーティーはまさに熱狂のピークを迎える時間だが、Wojakはそのどちらにも関係がない。彼女も友人もいないのだ。レディオヘッドがむなしく流れる車内からは空っぽになった道路を雨が濡らしている景色が続き、孤独と同じくらい、Wojakにとっての開放的で自由な金曜日の夜の雰囲気を感じさせる。誰もいないスーパーマーケットに到着し、ビールとタバコを買う。店員との会話抜きで。それからバーガーショップにも寄って家に帰る。テレビから流れるどうでもいい映像を2時間ぼーっと見て、Wojakはふたたび家の扉を開ける。ハイウェイを馬鹿みたいに飛ばし、パトカーに追い回されるが、それも振り切ってハイスピードのまま夜を駆けていく。カーステレオの音楽はプロディジーに変わっている。映像はふたたびWojakの汚いアパートに戻り、明るくなりはじめた空の光が、シングルベッドで倒れるように寝ている彼の青白い顔を映して終わる。

 これがアメリカでは一般的な金曜日の夜の過ごし方である。

 

 これに呼応して、柊野 THE ENDというユーザーからは日本版の動画もアップされている。

 やはり冒頭は集合住宅から始まる。新宿の居酒屋に出向くも、追い払われ、カラオケに行くこともなく、あらゆる娯楽を楽しむ手段がなく、コンビニでストロングゼロを買って家でそれを飲んで仕事へ行く。アメリカに比べるとやはり悲壮感が高い。

 Doomerを描く際にnightwalkingというタグはよく用いられる。イヤホンでお気に入りの音楽を聴きながら誰もいない夜中の街を歩くのだ。

 なぜインターネットではしきりにDoomerのプレイリストが作られるのか理解できただろうか。

 享楽と欲望に満ちた金曜日の夜に対する彼らの逃避と拒否と些細な抵抗に、音楽は最良のパートナーとして使われているのだ。彼らはドラッグと音楽でそれらすべてを賄おうとしていて、そこでは恋人と友人、ひいては他者が存在する世界が音楽に挿げ替えられている。

 世界中あまたのアルバムに収録された曲はDoomerたちの欲望によって無作為に抽出される。本来あった文脈は快楽のために歪められていて、音楽はプレイリストの奴隷になっている。Doomerたちが世界を奴隷にするために。

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 わたしもプレイリストを作った。

 

 

 深夜から明け方にかけて街を歩くときによく聴いている。ブログをあげた今日は金曜なのでDoomerな読者の皆さんも聴いてみてほしい。

 1時間40分のなかで、明瞭な曲から不明瞭な曲へとなめらかに推移するように曲を選んだ。同時に、人間的なものから非人間的なものへと、現実から非現実的なものへと。

 イメージとしては、William Basinskiの「The Disintegration Loops」のように、反復する憂鬱が約2時間の間に侵食され、曲の印象を曖昧なものにさせ、さらにはプレイリストという恣意的な枠組みから時間の流れのみが溶け出し、夜明けへと向かうようにデザインした。最近は夜明けが早いので、2:30くらいから聴きはじめるとちょうどよく夜明けを迎えられると思う。

 こう表現していいなら、nightwalkingのために使うことで / 抗えない時間の流れを楽曲の印象を偽装させるために使うことで、わたしなりのミックステープを用意してみた。

 といっても、ただただわたしが好きな曖昧で仄暗くて自閉症的な音楽を集めただけなので、ただの箱庭だ。

 

 家の鍵を閉めて、階段を下りながらだったり、エレベーターの中だったり、運転席からエアコンやステレオを調節している間に#1や#2が流れていると思う。

 いまさら説明するまでもなくJoy DivisionはDoomer以前の世界から暗い未来に閉ざされ、もはや......しかない、もはや...といった強迫観念を歌っているバンドだ。どこへ向かうあてもなく週末の夜を彷徨う不合理さを象徴するものとして、プレイリストの#1に選んだ。サイケデリックな焦燥はバーズの#2へ引き渡され、依然鬱屈とした感情は肉体性をもって夜の東京に降り注いでいる。

 わたしはいつでも愉快だが、いつでも少しずつ憂鬱だし、そのバランスが狂うこともある。

 わたしにとって音楽は歌詞に共感したり、ミュージシャンの人格に対してアイドルオタクのような敬虔な興味を持たせるものではなく、ただ躁鬱の波をある程度コントロールさせるもので、それでもなんの役にはならない。音楽がなにかメンタルケアの役に立つのだとしたら、あなたは音楽を聴くことをやめた方がいい。

 #3のような優れたアンビエント / エクスペリメンタルをいくつか曲と曲の間に挿入している。

 もともとそこに何かがあったかのような痕跡が、タイムストレッチされた小節間から覗き、夢の中にいるような感覚になる。しかし、誰もいない夜の街を1人で歩くことが夢の中にいることとなにが違うのだろう?誰も自分を観測していないのなら、自分がその場にいることの客観的な証明は?他者と世界によって規定されていた脆弱な自己は、いまではなにによって担保され得る?

 わたしは、それについて全く答えが出せない。

 Trickyの#4は、そういった問いを、呪術的なラップで投げかける。Trickyはもっとも優れたUKラッパーで、「Aftermath」はメランコリーの方に目配せをして唄われた曲で、ヒップホップの肉体性を削ぎ落とした幽玄のフロウがある。

 #5は安っぽいLate night Lo-Fi(vaperwaveのサブジャンル)だ。あまったるくて胡散臭くて、わざと意識をもたつかせるために選んだ。

 #6はジェイムスブレイクの「CMYK-EP」からこの曲を選んだ。ジェイムスブレイクは初期と後期でファンがはっきり別れる方だと思うが、断然わたしは初期のダブステップのメソッドが好きで、CMYKは存在の不安定さを確かめられるEPだ。そこにサンプリングされているのはいつ誰の声なのか、人間の声はどこまでが人間の声なのだろうか。

 徐々に意識は不確実なものになりゆく。#7、#8、#9、#10、#11、#12は、有機的な音像とサンプリング・反復・スクリュードされた悪ふざけとも取られるインターネットメイドな音像を行ったり来たりする。

 あなたはいまどこを歩いているだろうか。

 あなたはいまどこに歩いているだろうか。

 自由に悲壮に暮れてもいいというのは真夜中に1人でいることの多少マシな部分だ。もう違う曲を再生してもいいし、家に帰ってもいい。どちらにせよ日付は変更されていて、金曜日ではない。

 #12のInfinity Frequenciesは悪ノリだらけのvaperwaveというフォーラムの中で、ストイックに独自の文脈を紡いでいる稀有なアーティストで、どの曲もまるで、人間の意識の束縛から離れている。コンピュターが合成樹脂製の義手で不器用にシューベルトの楽譜を繰り返し練習しているような情景がある。ただそれもディストピアとかそういうものではなく、徹底的に打ちのめされた文明社会の最後に生き残ったデスクトップが受け取り手のいないサーバーに向かって発している電子音のように思える。

 #13、#15はジャズを挿入した。

 ジャズというは一般的に、もっとも商業的に成功したポピュラー音楽で、人間の快楽に呼応すればするほどそれに準じてスタンダードな名曲になっている。本当だ。昔は皆ジャズを聴いてセックスをしていた。

 人間的な音楽だ。ただ、Doomerのためにカスタマイズされたプレイリストに捩じ込まれてしまうと、そのパトスは途端に懐疑的なものになる。

 夜の街には誰もいない。もしくはあなたの部屋にはあなたしかいない。それで、ジャズを流して、一体何になる?何のためにグルーヴが発生して、どこで消化されるのだろう?

 行き場のない娼婦はどこへ消えるというのだろうか。#14の「Sad Bitch」はまるで帰れなくなった44番通りの娼婦たちの哀しい叫びのようだ。

 プレイリストは音楽の情動を粉々にしてしまう作用があって、それを目的にして作られている。

 

 #16で突如騒々しくなったあと、#17ではミニマルなトラックの上をFutureとしか呟かないロシア人の詠唱が続く。その声になんら物理的な存在感はなくて、ただ亡霊があり得たかもしれない未来についてブツブツいっているだけだ。

 もしあなたがまだ歩いているのだとしたら、そこはもう現実の場所じゃない。いや、どこでもないし、それはどこだって良かったのだから。

 マーク・フィッシャーの「わが人生の幽霊たち」を先週読んだ。このプレイリストに入っているアーティストたちについて多数触れていて驚いた。憑在論という題目がある。このプレイリストに集めた曲たちはもともと実体があって、しかるべき順列で並べられていた。それをわたしの目的のために並べ替え、挿げ替えると、とたんに音楽のメッセージ性などといったものは不明瞭になって、わたしが期待した通りの陶酔感、酩酊、ある種の明晰さを帯びるようになって、さらにそれは他者と共有すればまたグロテスクな形へ変容していくだろう。だから共有してみた。

 

 #20でOneohtrix Point Never「Sleep Dealer」を挿入した。vaperwaveの始祖であることは有名で、謎めいた目的のもとに音楽の位相をバラバラにしている。現在も。

 突如中途覚醒のように#22でアクチュアルなトラップがかかる。ここにおいては、彼の声は未だ生きているだろうか。

 #23「Late Lounge」は90秒の短いインストで、これがどこの誰が作ったイージーリスニングジャズなのか不明だが、いわゆる俗流アンビエントとかいった、ショッピングモールのフロアでかかっているようなBGMだ。

 

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 端的に、かなり稚拙だ。DTMを習いたての大学生が趣味で作ったような、悪意のない悪趣味さがあって、聴くに耐えないような俗悪なウィンドチャイムのキラキラ音とかは、きっと良かれと思って編入されている。

 わたしはこの完全に殺されたスムースジャズを繰り返し聴いていると、Wiiのショッピングチャンネルを思い出す。

 待機画面で放置されたまま、放っておけばいつまでも繰り返し流される口触りのいいBGM、そのイメージは、われわれがゲームを起動させていない間にもどこかの時空間で永久にオープンしているショッピングモールのことを想起させるし、実際にそうだ。

 ショッピングモールというのはインターネット登場以前の古き良き資本主義のひとつのイコンで、そこにいけば欲しいものはなんでも手に入り、時間が許すかぎりいつまでも居れることができた。わたしの昔の記憶だ。YouTubeにはWiiのショッピングチャンネルのBGMを10時間連続でループさせている動画がある。人々はそれを聞きながらベッドに入り、閉店時間が永遠に訪れないショッピングモールの夢を見ている。そして、そういう人々は起きなくてもいいと考えている。

 

 #26までになるとじきに空が白み出す頃だ。グラスパーのカバーした「Smells Like Teen Spirit」はもはやリビドーの牙は抜け落ち、浄化されている。無軌道に反骨してみせる時代は過去のものになり、そこではすでに初期衝動を忘れた人々が青春を回顧してみせるような身ぶりがある。

 

 

 わたしは、これは大切なことだが、他者を大切にできなければ自己は成立しないと思っている。

 個性などはまやかしで、他者との関係性にのみ自己が発生して、そこから世界が開かれると思っている。個人化のために他者を奴隷にすることは、世界を奴隷にすることで、世界はあなたの奴隷ではない。Doomerとは閉じこもっている状態で、なんの希望もないが、だがDoomer的なモチーフは、世界をなんとか繋ぎ止めようと試みている。だから扉の外に出て、意味がないようでもどこかへ歩いていかなければならないのだ。そして夜が終わり、朝になる。

 

 #27の「(Interlude #5)Portrait in Blue」で、サンプリングされている女性の声は、世界との関わり方について考えを巡らせている。

「そうだなあ、インターネットね

でも、ずーっと、ずーっと人のことについて考えてるかもな

 

人のことについて考えてはないわ、ごめん

 

自分のことについて考えるために

人をいっぱい見ようとするほうが、近いかなあ

 

うーん

 

だからいろんな人と話してるかもね」

 

 MF DOOM「Doomsday」#28が間を空けずに再生され、プレイリストは終わる。わたしは最後の曲でトンネルの向こうに抜けたような、救われたような気分になる。DOOMの名を冠したラッパーは去年他界した。だが意図的に最後の曲にして、「Doomsday」というタイトルに反して、次の日へと向かうための言葉を彼は語っているし、夜はもう明けていて、そこは自分だけの世界ではない。