大学で学んだこと一覧

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社会学は将来何の役にも立たないどころか、教授が逆張りの美学を先鋭化させたようなことしかいわないから普通にひねくれたオタクになる

ベンヤミンとデュルケムは偉い

ポストモダン動物化しているということ

社会学、とひとくちにしても社会心理学、スポーツ社会学、都市社会学倫理学/哲学/思想、法社会学、教育社会学、メディア社会学ジェンダー社会学環境社会学・・・と対象とする研究分野はかなり多岐にわたっていてどれもかなり興味を持てた。興味は持てたが、たとえば他の学問領域のマクロ経済学とか、言語学とか語学とか、こう、明確な理論をもって明確な研究結果が得られるような代物じゃなく、漠然と「社会」にまなざしを向けているような学問なので、社会学部という学部名だけど直接的な社会へのフィードバックはない。そういうわけで学問として地位が低いという典型的な社会学への迫害に関しては多少認めざるをえない部分があるものの、それならそれで、社会学が含んでいる基礎的な教養の部分をもっとあけすけに宣伝していってもいいと思う。社会のための学問っていうのはそういうことなんじゃないかと今は認識している

 

 華屋で飯を食っているがもしいま車が正面から突っ込んできたとしても飯を食い続けていると思う。写真とかも撮らないと思う。現代における最上の美徳とは、人が燃えていたりプリウスが店に突っ込んできたとしても尻ポケットからおもむろに携帯を取り出さないということだ。その一点に尽きる。おれの友人には写真を撮らない人間しかいないと思っている。それに救われている部分もある。

 最も無能なこととは、勃起不全が発生する場合だ。もっとも、不能な男は最初から惨めだ。不能になった男は、たいてい卑劣になって、セクハラやキャンプ⛺️やセミナーに興じるようになる。読者のみなさんもセクハラを受けたことはごまんとあるだろうが、そいつらは不能だったからセクハラをしたのだ。もちろんそんなことで許されるわけはないのだけれど、そんなやつは”マ・マー“の芯が欠けたパスタみたいなものだ。一笑に付すに限る。

 “マ・マー”の早ゆでパスタはマジでまずい。どういう神経をしたら調理時間の短縮と引き換えに味を不味くしたりできるんだろう。再三いっているがそういった待ち時間を楽しめないやつは退屈だ。我々の生活に芯が欠けたパスタとか、乾燥機とか、いうことを聞かないアレクサとかは要らないのだ。

 

・キッチンのIHはふたくちあった方がいいし、風呂とトイレは別々の方がなにかと困らない

・駅から近いところに住むよりよりいつでも空いてるスーパーとか小さい公園が近くにあるほうが助かる

・遊びの誘いは断らない。27時に呼ばれてもいく。自分が心許なくなって真夜中に連絡しても来てくれる友人を獲得するため

・ゴキブリを躊躇わずに捕まえて外に逃すことができると女性から喜ばれる

・インスタントの飯とかコンビニ弁当はあまり食べない方がいい

・他人と共有しないお気に入りのカフェとか服屋とか居酒屋とかを覚えておくと楽しいけどたいていそういう場所を基点に人間性がずれていく

・炊飯器はなくて困らないし掃除機もいらない。実家からはサトウのご飯や現金や女子高生時代の制服などを送ってもらっておくと様々なことに捗る

 

 

 前から賃貸主の大家さんや不動産から嫌われていたのだが、先月ついに契約更新の打ち切りを言い渡され、来年から別の家に住まなければならなくなった。理由は廊下に壊れた電動キックボードを置きっぱなしにしていたからだ。共用スペースの占有。それがおれの契約更新打ち切りの理由だ。騒音の類で苦情が来たことは一度もない。僧侶同然の生活を営んでいるのでそんな連絡が来るわけもないが。友人とお互いに罵倒を浴びせながらウォッカも浴びせあったり喘ぎ声がクソでかい女と寝ても、翌日隣人は寛容にB'zをかけていた。もっともアンプがデカすぎて、稲葉の歌声が一音ずつ正確に聞き取れるくらいには向こうもうるさい。

 土地に対する愛というのはかなり複雑で無駄なものだろう。最初こそ山口県へのホームシックを感じたことはあったが、今では吉祥寺から出ていくつもりが全くない。色々なことを吉祥寺で完結させすぎた。事実、大学で学んだことはほぼほぼ吉祥寺(武蔵野市)という土地で学んだことだ。だから来年もどうせ西荻窪、あるいは三鷹台や三鷹にいるだろう。そしておおよそ吉祥寺にいるだろう。

 

・車の免許はあったほうがいい

・歳をとって考え方が凝り固まらないうちに色々なものに触れたほうがいい。色々な土地を旅してみたりするのがいい

・酒は飲めなくてもいいしタバコは吸わなくていい。シラフのうちにシラフでも楽しめることを経験できるのはもう今後あまりないので

睡眠薬とか違法なドラッグをやっているやつと関わらないほうがいいし、やらないほうがいい

イカれた人間とたくさん会ったりどんな形であれ恋愛などをある程度経験した方が、結果的に人間性の中央値がわかって「マトモ」なのがどういう状態なのかが理解できるようになる

・大学の勉強や就職に熱心になることはかなりよい

・浪人とか留年とか退学した人は独特のアクがあっておもしろいけど関わりすぎると自分も大学をクビになったりする

・出生ガチャで自分がどういうものに依存しやすいかというのはある程度先天的に決まっているので、早いうちにそれを見極める。ネット依存やセックス依存、アルコール依存など。他人に依存するのはあまりよくない。でもガチャだししかたない。

・苦しむ

・一人で苦しむ

・苦しいことを他人に共有してもいい。しなくてもいい

 

 

 2019年2月に璃月と山形に免許合宿へ行った。新幹線のプラットホームを降りた瞬間から牡丹みたいな雪がふっていた。あのときの雪は牡丹雪と名付けよう。ずっと雪が降っていてそれが良かった。瀬戸内海でたまに降る雪はベシャベシャで灰色だった。おれはずっと雪国に憧憬があった。「極北」ということばに心動かされるなにかがあった。山形は極北というにはまだ南だが。いつかヤクーツクや知床、アラスカとかノルウェーにいってみたい。

 自動車教習所に通い始めてから 1週間ほど経って、女性がドライブに連れていってくれることになった。クリーム色の軽自動車が真夜中2時にビジネスホテルの前に停まっていた。眠そうな璃月は後部座席に、おれは助手席のシートに身を埋めた。なにを話したかは覚えてないがとにかく、とにかくクリーム色のミライースはとんでもないスピードで圏央道を飛ばしていた。120km/hを下回らないままみぞれに変わった雪の中をぶっ飛ばしていた。かなり爽快だった。昔のハードロックがかかっていた。除雪剤をスタッドレスタイヤが砕く音とジミヘンのギターで隣の女性がなにを言っているのかよく聞き取れなかったし、聞く気もあまりなかった。山形でデリヘルをしているらしい。スリップしながら車は360度転回したり、赤信号を全部無視して長距離トラックを追い抜かしたりしていた。途中でなぜか営業していた古着屋に停まったり、誰もいないゲーセンでダーツをしたりした。氷点下のもと、うらぶれたゲーセンで地元のヤンキーに混ざってでたらめに針を飛ばすことを想像してみてほしい。濃縮還元されたジンジャエールの味、アディダスの金色の3本線、東北の方言、村山から天童へ、尿意、土曜日の吹雪、ワンマン列車、イオンモール、フィリピンパブ、シャッター街、国道13号、夜と霧、何度もうなるギター、ピンボール、ダーツ、ボーリング、バッティングマシーン、ビリヤード、景品箱、スロット、クレーンゲーム、湯気、スケート場、滴るガソリン

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 璃月はシステムエンジニアと並行して時計修理の専門学校に通っている。この間実に久しぶりに会った。いいやつだ。車に乗せてくれた女性の連絡先は消えた。今夜もあの道路で、あのような吹雪の中で誰かを助手席に乗せミライースを飛ばしているのかもしれない。プリウスかもしれない。ジープかもしれない。今もよくその夜のことは覚えている。そういう夜ばかりが増えていきますね。そういうことは決して感傷にも後悔にも憧れにもしたくない。社会学の権威、ヴァルター・ベンヤミンが説いた、一回性をどうにか繋ぎとめて、記憶しているだけで十分だ。

 

 どうかあなたも