絶品ペペロンチーノのレシピ

 

 

用意するもの 【1人前】

Barilla スパゲッティパスタ No.5(1.78mm) 120g

ニンニク 3片

鷹の爪 1本

タマネギ 1/8個

パセリ 2束

ガルシア エクストラバージンオリーブオイル 大さじ3

塩 適量

調理酒 大さじ1

味の素 適量

 

 

  全てが終わった日、東京から田舎に帰る高速バスの出発前、最後の200円でハンバーガーとコーラを買って地面に座って食べた。駅前を行き交う1人1人に1人1人の生活があると思うと急に自殺がしたくなった。その時のことを思い出した。2017年。去りゆく者、残る者。各々の人生がある。

出典 : http://blog.livedoor.jp/keeby_bot/archives/49581624.html

 

 おれは実家には帰らないことに決めた。

 

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出典 : 論理ちゃん(@ikil_kiLLa_)

 

 試験に受かった中でいちばん偏差値が高かった大学へなんとなく入って、4年間なんとなく遊んで、なんとなく留年した。もう辞めちゃおうかなと思って両親に伝えたら許されなかった。100万いくらかの学費を余分に払わせることになった。いま住んでいるアパートの管理会社からは年末に更新拒否を言い渡された。先方からの封筒にはおれのゴミの分別マナーの悪さと廊下にキックボードを放置していたことが原因だと書き留められていた。法学部の友人は、賃貸契約更新解除の通告は契約満了日から数えて半年以上前に知らせなければ法的効力を持たないから、管理会社に抗議して取り消してもらうべきだと教えてくれた。

 少し迷って、おれはその通告に従うことにした。2017年3月30日の昼間、羽田空港からかさばる荷物をいくつも持って阿佐ヶ谷にある本社ビルで部屋の鍵をもらったときと同じ営業の男と4年ぶりに会い、引越しの手続きを確認し、退去の日を確定させ、貰った青い封筒をポケットにねじ込んでビルを出た。営業の男はおれに向かって浅いお辞儀をしていた。そのあいだとなりのデスクでは頭皮の色がはっきり見えるまでサイドを刈った大学生みたいな営業が大学生みたいな喋り方で親子連れの母親の方を向いて、東京の家賃の高さと中央線エリアの便利さを繰り返し説明していた。

 まだ終わっていない。家を出る日が確定したなら、引越し会社を抑えて、次はどこに住むか決める必要がある。市役所に行って住所を変更するそれから郵便局にもいく。全てが終わる日というのはきっと来ない。ここはきっとやさぐれた気分になるより、もっと楽しい、前向きな面持ちになった方がいい。

 

  • 鍋に水をたっぷりと注いで沸騰させる。塩を鍋の中へ振る。塩加減はこまめに確認しながら、お湯の塩分濃度が味噌汁より少しだけしょっぱくなるくらいまで加えていく。

 

  • 鍋が完全に沸騰したらパスタを投入する。Barilla No.5の場合、10分間強火で茹でると麺が最適な柔らかさになる(これに関してだけ各々の好みで微調整してよい)。

 

 休日の昼下がりで満遍なく渋滞している環状8号線を親父のスバル・インプレッサの助手席に座って進んでいた。親父と神奈川までマグロを食いに行った帰り道だ。三崎港で食べたねぎとろ丼はかなりレアな食感で美味しく、緊張しがちな親子関係に一瞬の恍惚をもたらしてくれた。

 親父は昔怖い人間だった。いまだって十分に恐ろしいが、本当のクソガキだったときは親父がなにをするとおれのことを殴り、なにをすると喜ぶのかを判断しながら生活していた。もちろん殴られるのはおれが悪いことを(親父と家族と社会にとって)したときだけで、素晴らしい親父だ。大学を留年して家を追い出されることを伝えたとき親父はおれのことを殴らなかった。殴られるかと思ったが、微妙な反応をされて終わった。

 

  • パスタが茹であがるまでに野菜をカットする。ニンニクは3片とも芯を取った状態にしておいて、2片を薄切り、1片を粗みじんの状態にする。タマネギとパセリは細かくみじん切りに処理する。

 

 「愛するということ」という本を読んでから色々な人に勧めている。おれも他人の家の本棚で見つけたのがきっかけだったが。他人を愛するとはどういうことか?という問いへの思慮を情感豊かに説き、他人をどうやって愛せばいいのか?というエゴな質問には厳格に、具体的に答えを明言している、好きな本だ。そのなかで、母親的な愛と父親的な愛の性質の差について論じられていた。

 「母性愛」という行為が示すように、母親が我が子に注ぐ愛情は無尽蔵で、見返りを求めず、無条件にその子そのものを愛するものだ。いわば、母は我が子を「愛するために愛している」。父親が与える愛とはそれと違う。父親の愛は「条件付きの愛」で、条件を満たしたときにだけ愛情をくれる。条件とは、父が我が子に対してはこんな人間でいてほしい、というハードルだ。

 この世に産まれた子は、無条件に乳をくれる母親から“献身的な”愛情を与えられ育ち、すくすくとなんの障壁もなく育つ、そこへ現れるのが父親の眼であり、まっさらに愛したいのに母乳をやれないように無条件に愛することができない、強い葛藤を経験したうえでの条件付きの愛情である。子どもはその2つの愛情を咀嚼して、2人の間の子どもになっていくのである。

 エーリッヒフロムのこの論説にはもちろん賛否両論ある。内容の大半がクィアに対応できないのが手痛いところだ。現代にこういったことを書くのはかなり煩雑な検証を必要とするし、「愛」とはなにかを男女の二項対立で考えていくことがそもそも詰んでいる状態に近い。それはそれとして、親父はフロムがいうところの「父親」だった。

 人生の途中から親父から求められたハードルを飛び越えることを諦めていた。そのあたりからおれは殴られることがなくなった。それは、どこかで親父と、親父の愛に向き合うことを辞めたからだ。

 それもきっと前向きに捉えるべきだ。親父はおれが理想の息子に育つ可能性をある程度見限ったうえで理解してくれているし、それに親父の理想をいちいちすべて叶えてやっていたらおれは今頃東工大で化学の研究をやっている。間違ってもエーリッヒフロムなんて読む猶予はないはずだ。だからこれでいいんだ。

 

  • 大さじ3のオリーブオイルをフライパンに引く。火加減は弱火~とろ火と、できるだけ弱くする。フライパンは常に傾けて、小さいオイルのプールを作っておく。その油だまりを使ってすべての野菜を加熱する。ここがペペロンチーノの調理過程においてもっとも重要なファクターになる。具材は15分ほど時間をかけてオイルで煮るように加熱する。その目的は、オリーブオイルに、ニンニク・タマネギ・パセリの味、うまみ、香りを完璧に移すことだ。強い火力で一気に炒めてしまうと具材の風味が飛び、焦げ、すべてが台無しになる。そうならないために弱い火力で丁寧にオイルに風味を移していく。

 

 渋滞がピークに達し、完全に動きが止まったところで、車内には沈黙が続いていた。高速を降りた頃からカーラジオのパーソナリティは福山雅治になっていて、例のいやらしい不快な声で恋愛について喋っている。おれは福山雅治の声は不快だと思っている。あなたはどうでしょうか。トークのお題は「忘れられない大恋愛」だった。そのなかである中年男のリスナーから長めのおたよりが届いていた。

 全部書くと長いし退屈なのでまとめると

 

起 : 高校時代とても仲のいい彼女がいた

承 : 些細な勘違いから彼女に絶縁される。男は失望しながらも働き、別の女と結婚して生活を送る

転 : 数十年後、高校の同窓会に出席した男宛に郵便が届く。箱の中身は当時の彼女とつけていた交換日記

結 : 最後のページに「私もずっと好きでした。〇〇さんとの恋愛は私の高校時代の一番の思い出です」

 そのメールの文面と、感動を煽る音楽と、福山雅治の不快な喋り方と、そのあとのコメントのせいであまりにグロテスクな気持ちになってしまったから、車の暖房が効きすぎているせいもあってねぎとろを嘔吐したい気持ちに駆られた。創作であることを願うばかりだ。何もかもが手遅れになってから後出しジャンケンのように語られるのは好きではない。キリスト教徒が懺悔室で神父に向かって殺人の罪を告白するシーンを観たときの渇いた無意味さのようだ。

 そして、なぜ愛がこんなにも語られなければいけないんだろうと思う。誠実になれなかったおれは愛を考える資格がないように思える。そしてそんな話を聞きたくない。「語る」と「騙る」が同音異義語なのは意図的なのだろうか。おれは、こう言ってよければ我々は、ラジオを切って重い沈黙に向き合ってもいい。この季節なら有り得る気がする。

 

  • まず、薄切りにしたニンニクをオイルのプールに投入する。2~3分加熱したあと粗みじんの方も追加して、7分程度熱していく。

 

  • そしてタマネギを入れる。タマネギは透明になるまでプールで泳がせて、最後にパセリを1分程度加熱する。パセリは仕上げにも使うのでひとつまみ分残しておく。

 

  • 15分ほど時間が経ち(調理環境によって多少異なる)、ニンニクが薄いきつね色になったら調理酒と味の素を加える。ソースに含まれたアルコールが飛んだのを確認できたら火を止める。

 

 太陽の光線が、絶命してあちらこちらに横たわっている冬の残滓を、掃いてまとめて路面の排水溝に流している。今までを覆っていた季節が死んで、新しい春が始まる。このときばかりは嬉しくなって、軽率に救われてしまう。それくらいの力が太陽にはある。

 その日は2月でいちばん暖かくて、十分に晴れていた。西に傾きつつある太陽が、塵が舞う車外の空気をやさしく包んでいた。午後の光は塵とかガードレールの反射材とか車椅子の車輪とか小学生の防犯ブザーとか小川の淵とか目に映るすべてのメタリックな粒子を柔和でミルクのような光のきらめきに変えていった。

 この光の中でまだ生きていかなきゃいけない。あなたもおれも

 

  • パスタが最適な柔らかさになったら鍋から揚げて火を止める。茹で汁はコップ1杯分程度残しておく。

 

 友人の竜平くんの家に住むことになった。一部屋空いていて、そこに住んでもいいよと言ってくれたからだ。それはかなり助かった。おととい家賃とかの話をした。竜平くんと会うのはそれで4回目で、家に来るのは2回目だ。おれは彼とこの家のことをどちらも好きになれそうな気がした。2人で住んでも十分に広い家だ。おれは本当に引越すことになった。吉祥寺を離れて、世田谷区に住むことになった。本当にそうなったのだ。

 それが確定してからさっさと業者に連絡した。引越しは3月の下旬になった。あと1ヶ月で本当に吉祥寺を離れることになった。所感はというと、山口県を出るときの爽快感に似ていてそれに驚いた。

 4年間もたいして冒険せずにずっと同じ場所に引きこもっているというのは当然よいことではない。明るい思い出はさっさと味がしなくなって、暗い思い出はいつまでもその場所に留まっている。ハモニカ横丁、中道通、ライトアップコーヒー、駅前の雑踏、井の頭公園、その隣のホテル、ニューヨークジョー、南口の日高屋アップリンク、東急百貨店、ゆりあぺむぺる、弁天湯、かまどか、シーシャ屋すべて、ジュンク堂、五日市街道、学生街のどうでもいい居酒屋、そしてほとんどが自宅に。

 2383枚の写真を吉祥寺で撮っていた。写真にも感情が憑依している。「吉祥寺」というシニフィエがそもそもよくない。負の残留思念がその駅名に染み付きすぎだ。吉祥寺を離れたいと思ってしまった。離れてもっと客観的になって、それからもう一度吉祥寺を好きになりたいと思った。第二の地元というとなんだかヤンキーっぽい精神性だが、山口県と違って吉祥寺は帰れる場所だし、帰ってきても意に介さず受け入れてくれる土壌があって、そこは気に入っている。だれも遊んでくれないなら1人で日高屋に入ればいいだけの話だ。

 

  • この段階で鷹の爪を追加する。細かくちぎって種ごとソースに入れる。ソースと同じ量の茹で汁をフライパンに注ぎ、液体が全て白濁化するまでしっかりかき混ぜてこれらを乳化させる。

 

 一番最初に引用したブログは好きな文章を書く人間の1人が遺したアーカイブで、その文章の形式は祈りや聖書に近い。彼は2017年に東京から新潟へ帰り、いまも孤独に闘っている。去りゆく者と残る者。

 何度季節が変わろうと去りゆく者を見送ることの悔しさと残ってしまった者の虚しさは拭えないだろう。そうだろうか。そう思っている。何もかも完全に終わることはないのと一緒だ。他人と繋がっているだけで、去られてしまい、残されてしまう。美談にだけはしない。そう、美談にはしない

 

  2017年、奇しくもおれも、同じ年に上京する心境をブログに残していた。

 

春から東京で暮らすことになった。大学が東京にあるからだ。都内のわりと住みやすい、そのわりに賑わっていて都心へのアクセスも申し分ない土地を抑えることができた。いよいよ私が憧れていた都会ぐらしが始まる予定だ。

引っ越しの手続きや家具類を揃える必要があるので、この頃は度々東京へ行く。都会は若い人が多い。地元とは違って身なりがさっぱりした、忙しそうな若い人が多い。青い制服を適度に着崩した高校生の群れが交差点を闊歩している。アレが多分、私の憧れだった。私の幻想によると、都会の高校へ通う彼らの生活は多少の金はかかれど比べられぬほど刺激に満ちたものらしい。渋谷、古着、カフェ、クレープ、収録、ライブハウス、ディズニーランド、夜景、読モの友人...

 

  • しっかりと乳化したソースにパスタを入れる。ソースと絡ませながら、茹で汁を少しずつ追加してさらに乳化を促進させる。とろみがついたソースになったら香り付けのオリーブオイルを小さじ1ほど垂らし、皿に盛り付ける。最後にパセリをパスタに散らして完成。

 

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 またね、お元気で