自閉症的音楽について

 音楽ほどヤリマンな文化はない。ファッション、映画、文学、ドラッグとの癒着は語り尽くされたテーマだ。誰とでも寝る。貴賎を問わず、実に軽薄なのだ。

 ああ、あと政治か。

 

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 音楽について書く際に適当なとっかかりを探していた。できるだけ具体的な文章にしたいからだ。最近なら星野源の動画に日本の総理大臣が乗っかった件について議論が起こったことは皆さんの記憶にも新しいだろう。

 おれはまだ頭が悪いので政治的な言及はしない。しないが、ひとつだけ言いたいのは、「うちで踊ろう」なんてのも純然たるイデオロギーで、政府はそこにフリーライドしただけだ。星野源は「ノンポリ的」であって元からノンポリなどではない。

 

 あの時ムズムズしたことが以下のブログで明快にまとめられているのでオススメです。

星野源「うちで踊ろう」にムカついた話 – peacefullifeyoga

 

 このブログにもう一つ面白いエントリーがあったので紹介する。

2つめの都市に住む著名人がセロトニン宣言をすると腹が立つ – peacefullifeyoga

 セロトニン的音楽/ドーパミン的音楽という音楽的機能をx軸上に、「1つめの都市」住人/「2つめの都市」住人(ざっくりいうと非常時において現場で働かなければならない人と家でも働ける人)をy軸上に配置した図が以下である。

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出典:https://peacefullifeyoga.wordpress.com

 

 音楽が軽薄である理由のひとつは、このようにあることを批判的に主張しようとする際、主張は「音楽」を容易に接続できてしまうことにある。するとヒエラルキーが誕生する。批判的な主張は「音楽」を意図的に引用することで主張を強化したり、より一般化することを目的にする。だが、逆に「音楽」そのものだけでなにかを説明することは困難を極める。当たり前といえば当たり前だ。

 さらにいえば、「音楽」のみで「音楽」を語ることも難題だ。これも当然だが、試してみるといい。

 例えば『マイルス・デイヴィスの「Bitches Brew」について書いてみて。ただしお前がこれを聴いてどう思ったとか、他のカルチャーに紐づけるのはナシね。』と言われても、おれは絶対に無理だ。おれは、ね。音楽を理論的に理解している人なら可能だろうが。現にそういう人はたくさんいる。だが肝心の文章が面白くない。

 それならばどうやって音楽を説明するのか。音楽について述べられた文章は無限に存在するが、1番無難で読者にも伝わりやすいのが「音楽の文脈を作ること」だろう。ビリー・アイリッシュは自身のApple Musicアカウントで「WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?」を制作する際に影響を受けた曲のプレイリストを公開している。

 カニエウエストのYEEZUS絶対参考にしてるよな......と思っていたので少しテンション上がった。

 これはビリーアイリッシュ自身が公開している場合なのだが、音楽メディアの記事で「◯◯の影響を感じる~」だとか「90年代◯◯の潮流を現代にアップデートした~」だとか、ずるいのだと「◯◯と◯◯のマリアージュ」とかの表現を目にしたことはあるだろう。◯◯にはアーティストやレーベル、ジャンルが入る。音楽を音楽自身で説明させるために前後の事実関係を整理しておきましょうねって話だ。個人的には、優れたアーティストはこの文脈という制約に対して自由な音楽を作る。

 あとはエモーショナルな部分で評価したり、社会的な領域と絡めたりするわけだ。

 

 意味→「音楽」は簡単だが「音楽」→意味は難しいよ~という話だ。誤謬は承知だが、その点で音楽に意味は無いといえる。意味がないなら反証可能性もないからだ。

 

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 前置きが長くなりすぎたが、本題に入りたい。

 

 

 『自閉症的音楽』というのはおれが勝手に名付けている音楽ジャンルのようなものだ。たとえばこれ。

 これ。

これ。

これ。

これ。

 

 「これは単なるIDMだ」と思う場合もあるだろうし、「彼女を載せた車のラジオでこんなの流れてきたら最悪だな」と思う場合もあるだろう。あるいは単純に「意味不明」「楽しくない」すべて正しい。正しいもクソもないが。

 『自閉症的音楽』は、従来のジャンルで括れる音楽性向ではない。というか、おれの造語なのでそんなものはおれの自由だ。聴いてみればわかるが星野源マイルス・デイヴィス自閉症的音楽ではない。ただし大部分のハウスやテクノ、その他打ち込み系の音楽とも違う。レディオヘッド自閉症的音楽なのか?確かに、トムヨークの歌を聴いてさあ今からミートパイを焼こうとはならないし、無気力にもなるだろうが、レディオヘッド自閉症的音楽ではない。

 

 だが、これはあきらかに自閉症的音楽だ。

 ドンカマ2000の方がより自閉症的なのだが、あれは音楽なのか?という点からこちらを選んだ。

 

 「自閉症的」とはなにか?という当然の疑問に答えていなかった。自閉症的とは、自閉症の症状に由来する。以下に自閉症の代表的な症例を箇条書きする。

・言語コミュニケーションに障害がある。

・他人や社会に対する興味が希薄である。

・他人の感情を理解したり、自分の感情を表現することが困難である。

・特定の物や行動に執着し、偏執的に反復する。

・数字や風景など、特定の物に対して高い記憶力を持つ。

 

 

 そして、「自閉症的音楽」とはどんな音楽なのか?簡潔に定義するのは以降の課題にするとして、それらに共通する傾向を箇条する。

 

・徹底的な意味性の排除

・意味性を排除するということは、それを聴いても明るくなったり、暗くなったり、情緒的な変化には乏しくなるということ。また、音楽の文脈から断ち切られることで、一人で閉じこもるような感覚になる。

・幾度も繰り返される規定されたリズムパターンへの偏執

・外部から意味性が与えられることを嫌うために他のメディアと結合しづらい。音楽それ自体に独立した意味性がある。つまり音楽自体が特定のミームを有しているという点でインターネットとの親和性が高い。ネットミーム的。

 

 インターネットと強い結びつきのある音楽というと、vaperwaveというメソッドを想像するかもしれない。

 vaperwaveは音楽のみでなく、社会批判の精神、ある特定の年代から楽曲をサンプリングすることによって消費が美徳とされた資本主義時代の精神をノスタルジーという感情に帰依させること、様式的なアートワークを使用することで自らを積極的にミーム化する動きがある。vaperwaveが自閉症的音楽と好対照的なのは、意味を外部から規定されたがる姿勢と、徹底的に意味を排除しようとする姿勢の差にある。

 そして、自閉症的音楽の特に顕著な傾向としてリズムパターンに対する病的な執着にある。一定の法則でループされるドラム、ベースの複雑なシンコペーションは、結果的にブレイクビーツドラムンベース、ガバなどの音楽ジャンルに分別される場合もあるだろう。自閉症的音楽がリズムに極めて意識的なのは、小節内を複雑なパターンで支配することで外部から不要な情報をシャットアウトする目的にある。また、それは我々から「音楽を聴いて、気分をアげる」などといった行動を制限させる。

 

 猥雑な検証にとどまってしまったが、このような音楽群をおれは自閉症的音楽と勝手に呼んでいる。このような音楽は個人的に大好きで、それそのものを定義するジャンルがないばかりに見つけるのには苦労するが、ある意味で作曲者の強烈な自意識を見ることができるし、この音楽に没頭していると、気分の抑揚が制限され、「ここではない、どこか」にいるような気持ちになれるのだ。

 

 

 

6/4(注記)見直したが、マイルスデイヴィスについては『On The Corner』を聴いておく必要があった。稚拙な引用であったことを反省する