自意識についての考察 2

 人間観察なんてものを趣味にしてるやつはひとり残らず俗物で話が退屈なカスだ。おれも人間観察が趣味だが話が面白いのでまだ救いようのあるカスだ。自分が他人を観察するとき、別の他人もまた自分を観察しているのだが、そんなことにすら気付けないほど自意識と客観性がお粗末なので、勘違いナルシスト野郎たちは平気で「わたし人間観察とか結構好きで」とか言ってしまうのだ。

 客観性が欠如した人間は救いようがない。救いようがないのだけれど、救いようがない状態にあることを客観性がない人間は知らないので問題はない。

 まさに今だって中央線車内で真向かいに座ってるドカタが超でっけーボリュームでひとりごとを叫んでる。

 客観性や自意識がまるまる抜け落ちたやつは最強ってことなのだ。

 おれは自意識の鬼。自意識がデカすぎて部屋が狭いしあんま空とかちゃんと見たことない人間なのだが、最近一周回って自意識がないような気がしてきた。「一周回って」って表現は俗悪で嫌いなんだけどおれは今まさに俗悪がどうかをジャッジする自意識が無いような錯覚に至っているので気にならないのだ。多分自意識がデカくなりすぎて観測できない境地にまで来たのだろう。

 つまり今おれには自意識がない。最強なのだ。

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(出典)論理ちゃん ‪@ikil_kiLLa_ ‬

 

 さっきからどうのこうので自意識の定義を説明してなかった。というか昔のブログできちんと定義したからわからなかったらちゃんと全部見ろ。自意識とは、「自分が、自分を、どうみているか」という問題である。

 おれにとってはそうだけど違うのかもしれない。だが東京で一番自意識について考えているのは、哲学家と精神病と医者を除けば間違いなくおれなので信用してほしい。

 ああ、東京で一番といえば、東京で一番日高屋にいる日本人はおれだ。もっと世界的にみればキッチンでこき使われてるアジア人の方が長くいるが。日本人で一番日高屋にいるのはおれ。

 あ、日高屋がなにか知らない人は別にここから先は読まなくても大丈夫です。いいねだけして寝てください。吉祥寺駅の南口降りてすぐにある日高屋でおれが一生ウーロンハイを飲んでいて、一説によると総摂取量は井の頭公園の池の総水量にも匹敵すると言われているが......そもそも日高屋に「いる」という感覚は間違っている。普通の人間は日高屋なんてお昼休みに飯食って出るか仕事終わりに直帰するのがなんとなく嫌で一杯だけビール飲んで出るくらいの店だ。おれは頭がおかしいので一度座ったら朝まで永遠に店員にウーロンハイのおかわりを持ってこさせる。

 あなたは自分自身のことを個性がある人間です だとか変わった人間です だとかいかれたやつです とか言えますか?言えないのならごく普通のつまんねー人間です とだけ言ってそれ以降何も特別さをアピールしないでください。別にどっちでも構いませんが。おれは上記のとおり自意識がないモードなのでいくらでも言えます。というかあなたが知っている中でもかなりおかしい人間だと思います。

 今回は無責任に知りもしない他人を攻撃しまくっている。虫みたいを読んでるあなたみたいにインターネットの暗いユーモアが大好きな人間に向けて書いているからですよ。あなたはどう思いますか?何がって?自意識ってなんだと思いますか?なんでもいいからあなたの意見をくださいよ。

↓↓↓↓↓おれのラインをチェック❗️

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 昨日は日高屋で隣のサラリーマン達にライターをあげた。おれと井上は今まで日高屋で他人に火を貸すという行為に触れすぎて、それでも井上の異常に慣れたムーブが気持ち悪かった。そいつらサラリーマンはキリンビールの部長と課長で、気に入られてそれから3時間くらい仕事の話とかお金の話をした。ストロング系飲料についての話をしたらかなり面白がられて明日の会議にこいつら連れてきましょうよって言ってくれたのに連絡よこさなかったからあいつらは馬鹿だ。仕事はできるぽかった。

 男は仕事ができて当然だと思う。仕事ができないやつは本当に情けない男だと思う。おれは仕事はできないがコミュニケーションがやれるので情けなくはない。仕事ができなくてコミュ力(笑)がなきゃ論外だし、あと品性と知性も必要だ。女は品性だけでいいと思う。おれがだーーーーいすきな村上龍は女にはもとから知性がないと書いていたが、ミサンドリスト達を積極的に殺していきたいのである意味では賛成である。

 なんでこんなに他人を攻撃したい気持ちになっているのかがわからないけど、同世代の男に知性を感じたことがほとんどない。個人的に、同世代の男に知性を感じたことがほとんどない。ではない。同世代の男に知性を感じたことがほとんどない。だ。責任逃れのためになんでもかんでも感情を個人化するのは本当に良くないと思う。それは自己責任論を批判することから逃げているのだ。

 で、周りの男は知性がない。ほとんどの人間が就活をやっているが知性がないからスーツがぺらぺらでネクタイのセンスがおかしい。あと顔の締まりがない。顔の締まりがなさすぎる。これに関していうことはそれ以上なかった。

 最近ブログで書きたいことが発生しても日高屋で友達に全部面白おかしく盛って話してそれで満足してしまうのでなかなかうまくいっていない。これが書けたのは今おれが日高屋にいないからだ。バスに乗っている。また山形にいく。今までずっとおれは『感傷マゾ』的な『最初から存在しないものを探して自傷する趣味』に傾倒していたがそれもなんかもう飽きた。飽きたので就活をやる。働きたくはないが、なぜ自分は働きたくないのかを完璧に理論武装して正当化させるためにちゃんと就活をやる。そして働かないための正当な説明がついたところでなんだかんだどっか楽な会社に入ろうと思う。じゃあな!ギャハ!!